イントロダクション
2013年に実施した、30日間ブログ更新チャレンジの再編集版です。
今回は、その年の4月に行われた「国立デザイン美術館をつくる会 第2回パブリックシンポジウム」の備忘録になります。
聞いてきた話は以下の過去の自分の記事に任せますが、2022年4月の情報を補足。
「国立デザイン美術館をつくる会」は、2012年に設立された任意団体で、2017年に「一般社団法人Design-DESIGN MUSEUM」として新たに設立し直され、現在も活動中です。
経緯などは公式サイトをご覧になると良いでしょう。
また、当時の空気感は以下のサイトが参考になりそうです。
では以下より、2013年5月16日の記事になります。
「国立デザイン美術館をつくる会」って何だろう?と思って話を聞きに行った
2013年4月21日、仙台に季節外れの積雪があった日の記録です。
せんだいメディアテークを会場に「国立デザイン美術館をつくる会 第2回パブリックシンポジウム」が開催され、それが何だかわからずに話を聞きに行きました。
公式サイトはこちら。
セッション2からの参加でした。
「なぜ今まで無かったのかが不思議」とまで表現された国立デザイン美術館。それを今こそ作ろうというのが、つくる会の目的です。
その目的を達成するために、例えば箱物は必要か?必要なら新規か既存か?移動型の可能性は?コレクションポリシーは?運営は?資金調達は?などの盛りだくさんの疑問、課題、思惑があるわけで、このシンポジウムでは関わり得る様々なジャンルの人の様々な立場、意見を披露し合っていました。
個人的には、デザイン美術館が教育にもたらす効果みたいな話が大変興味深かったです。
今でこそ「デザイン思考」って言葉を聞くようになりましたがね
日本で「デザイン」って聞くと、図工とか美術の延長線上にあって、絵の上手な人じゃないと口に出せない領域のような思い込みがあるじゃないですか(2013年当時)?
でも実際はそんなんばっかじゃなくて、みんながそれぞれの生活や仕事の中で何かしらをデザインして生きているんですよね。
通勤ルートをデザインしていたり、今夜の晩御飯をデザインしていたり、ブログに書く文章をデザインしていたり。
そんな中でデザインを職業とするプロの人が、対象者から求められる機能、役割を形づくったものが、僕らが「デザイン」されたものとか、デザイナーがデザインしたものとして認識している、って感じでしょうか。腕の良い人ほど、そこに美しさや楽しさ、親しみやすさなどの付加価値が増えていくんです。
で、そこには何らか体系的なものとか、世間に通用させるための理屈があって、その辺を根気強く出来る人がプロになるんじゃなかろうかと思ったりするわけです。
このセッション中でも「デザインは理系」とハッキリ言ってましたっけ。
だから、現在活躍中のデザイナーのうち、絵が上手な人からスタートした方でも、色々とキャリアの中で葛藤するうちに、段々とその辺を身に付けて世間に認められていったのではないかな〜と勝手に想像しています。
そうしたことを気づける、生きた教材に今回のデザイン美術館はなり得るんだろうな、と感じて帰ってきた次第です。
デザインとひと口に言っても色んな入り口、色んな出口がありますんで、それを体系的にコレクションする美術館が出来上がるというのは、素直に賛成です。
当時のメモをさらす備忘録
完全に僕個人のための備忘録なので、何の役にも立たないかと思いますが、もしこの記事にたどり着いてしまった人は、何かの足しにしていただければ幸いです。
※ちなみに、以下のメモにも登場する橋口さん(@johashiguchi)目線でのまとめがこちら。
ではノーカット版の俺的メモをです。ちなみにここより以下はだいぶ長いです。
セッション2
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ミュージアムの姿
ランドマーク型、ネットワーク型など様々な提案あり。
大阪のデザイナーはライトのグッゲンハイム美術館的なタワー型を敢えて提案。
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東北大学の人、ネットワーク型の提案。
個人コレクションの展示。
移動型。移動する美術館。動くハウルの城くらいのインパクト。
例)スペースシャトルエンデバーの巡回展示、サーカス的。
日本ならエヴァとかガンダムとか。
日本の交通の便のよさも生かせるのではないか。
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バブル期はでかいものをどーんと作る発想。
今はスクラップアンドビルドではなくリノベーションとか。
既存の施設の流用、ネットワーク化
使われなくなった公共施設、少なくとも倉庫としての使い道もある。
地域の活性化ポテンシャルもあり。
西洋は力技でねじ伏せる的なランドマーク建築多い。
誰もがデザイナーという発想。
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北海道のくらしげさん
教育者としての提案。
厳しさを増す教育現場から、子どもにやさしいデザイン美術館を。
学校の教育現場でのデザインの教え方。
体系的に勉強する機会がない、教えるのに無責任。
教科書しかない。
学習指導要領ではデザイン領域、映像領域、絵画領域など分類されていて、それらを適宜やりなさいという程度のガイドライン。
実習で補えない部分は鑑賞で。
美術の先生次第。
デザイン教育は大変遅れている。
画家や彫刻家が美術の指導をしているケースが多く、絵の書き方を教えられても、デザインを体系的に教えられない
プロダクトデザインを大学で初めて知る。
デザイン美術館には背中を押してほしい、きっかけになってほしい。
偏差値の高い大学に行くのが「幸せ」か。
職人やものづくり従事者への選択肢を増やす。
東京だけにある、というよりは小さな規模でもあちこちにある方がよいのか?→例えば図書館などを窓口に鑑賞したり、展示物の貸し借り。
情報のネットワークを利活用。
インターネットだけじゃなく、リアルなものを四方八方から眺められる機会を提供してもらえれば。
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教育側面、デザインミュージアムが子どもたちへのデザイン教育へ果たす役割。
30代男性からの提案多かった。いくめん?
外国では無料の美術館や、スマホカメラで見る美術館、自分でカタログが作れる美術館など事例が多様。
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東京の学生さん、はしぐちさん。
国立でいいの?
クリエイティブでおもしろいアイディアの運営主体が国立でいいの?
運営は民間主導がいいんじゃない?NPOとか。
国立、という言葉の意味、超長期的に残っていく信頼性。
企画展は民間、常設展示物やコレクションなどロングスパン(100年とか)は国がしっかりやるという関係性もいいんじゃないか。
国が安定している、という保証もないじゃないか。
じゃあ、国がなくなっても残していける仕組みって?
今までの美術館、公的資金への依存度高い。
経済、少子高齢化進む世の中で、美術館が自立していかないといけない、ファンドレイジング、ボランティア活用。
お金持ちの寄付で運営。
ほとんどのミュージアムを民間で動くアメリカは極端な例。
クラウドファンディング。
誰も国を信頼していない風潮。
生活の細部にまでデザインがあった、と言える国ではない日本。
国立と名を冠することで、そんなコンセプトを根付かせようという意図。
サービスをもっと美術館側から発信してほしい。
美術館アプリ、図録の電子書籍とか、条例・法律改正などスピード遅い。運営は自由な方が重い。
独立行政法人は?いいけど、もっと自由になれるのでは。
independent institution
インフラは国、運営は民間(メトロポリタン美術館、NY)
「ダイバーシティが確保された人材をあつめ、おもしろいアイディアを柔軟に反映することが出来、世界のミュージアムをリードする存在へ」
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色彩の専門家、すぎやまさん@東北芸工大
色のコレクションを提案
「日本の彩り」を設けてほしい
震災で「色を失う」という体験、ショック。
大漁旗、色の力。
阪神大震災→15年経過して神戸らしい色を取り戻した
色彩のデータベース。
成長できるデータベース。
仙台と山形で生活の質で意識する色が違う
自然環境への意識は共通して高いが、仙台は公園とか並木、山形は耕作地への意識が高い
仙台は直線的でグレーっぽい
大船渡は潮で褪せた色
記録、言葉でのやりとりのきっかけ、言葉で色を残す。
デザイン、個人の感覚って大きいファクター
色は興味をひくもの?きちんとした知識で使う、技術
それを助ける装置としての美術館の役割
日本の伝統色はことば化してきた、残そうという意思の現れだったのでは。
雅の配色=京都の和装の人と作ったカラースケール
友禅の色、京、加賀、名古屋、江戸で色が違う。
江戸の色、四十八茶百鼠とか。
繊細で微妙な色の違い、いちいち名付けている。それをアーカイブ。
コレクションポリシーの考え方。
より検索できるようになるとよりよいのではないか。
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コレクションポリシーの難しさ
デザインは生き物。常に最高というものはない、時代背景で変わる。
行灯の下で見た黒と照明の下で見る黒の違い
編集能力、キュレーション。
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東北芸工大でキュレーション教える、わださんの提案
コレクションポリシーについての提案
ミュージアモロジー?
まず部門をわけ、コミッショナーが選別
軸を設けて、(投票するのかな)、取得したポイントで決めるとか。
選者、デザイン性、ロングセラー、機能性、○○性、○○性。。。で投票。
20世紀の日本のデザイン、復刻製品をショップで販売する
ホテル併設案、体験、デザインを使ってみることができる
デザインされたものを使う、体験するためのホテル
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価値判断、時代時代で変わる。
ゴミが最高と呼ばれたり、最高だったものがゴミを大量に生んだり。
美術館が、デザインを考える場。
ものとしてのデザイン、ものじゃないデザイン。
人と人とをつなげるデザイン、形じゃないデザインをどう残すか。
建てられない建築をどうアーカイブするか。
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会場からの提案
人の心を和らげる提案、笑い
負のデザイン、改善の歴史までアーカイブ
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思考実験としてのこのシンポジウムやミュージアム設立までの運動
デザインミュージアムを考えること=デザインを考えること
非常にクリエイティブ
デザインは諸刃の剣
ナチスのデザインの再評価の話とか。
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セッション2終了
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セッション3
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>みやけいっせい
東北の伝統工芸との出会い、40年前。
ぎんか、ナショジオが辞書みたいなもん。
アクションしないと何も生まれない。
手の器用さを取り戻したい
メディアテーク、国立デザイン美術館の原型があるような気がする。
日本は資源はないけど、ゴミはたくさんある。ゴミは美しいと思えるような思想があってもよいのではないか。
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空間、内容、運営の3本柱
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>いとうとよお
メディアテーク、壁をなくすことがテーマだった。
最初は図書館、市民ギャラリー、視聴覚障害者のための施設。
それをできるだけ一つに、混在したものにしたいというのがテーマ。
デザインは色々な方向から議論ができる。
デザインの概念が拡張されている現在。
どうやって壁を取り去るかが大事な議論となる。
通常の公共建築、与えられたスペース、与えられたことしかできない
1日がかりのワークショップやると、小学生っておもしろい。
1年かけて建築教えたらどうなるか、2年前から実験。
雲のような家、鳥のような家。
「みんなの家」
震災後、この2年間被災地に行っている。みんなの家というプロジェクト始めた。
1、仮設に住んでいる人たちが心をなぐさめあう場所。
2、住む人と建てる人がいっしょにつくる小屋
3、利用する人が復興をいっしょに考える小屋
どういう人がどんな風に受け入れてくれるかが重要。
○LDKみたいな近代的なアパートの構造、東北に似つかわしくない。
作品性がデザインのすべてか。プロセスのデザインも重要。
建築は誰のため?何のため?
大学の建築教育ではあまり教えていないこと。
宮城大学のなかた先生。デザインを学ぶ学生とともにアイディアをぶつけることにした。
例えば手ぬぐいなんかは喜ばれた。
デザイン、収蔵されるものを作ることだと思っていた。
震災経て学生と一緒に活動することでそれ以外のプロセスなどのデザインも重要。
建物の完成よりはるか前からデザインは始まり、施設は使われているという考え方。
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あさば
すべてのデザインは森羅万象に浮遊している。
発想、現場、
唐の時代の塔が一番美しいらしい
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あおやぎ
本当のファインアートが日本にない
作り手と見る人の距離が近かった、伝統として。
タージマハール、ベルサイユ、桂離宮を見た。
芸術性高さはタージマハールピカイチ。
桂離宮は京都だけに通用する素晴らしさがある。一方でユニバーサルなデザイン性も高い。
エクフラシス。
詩は絵のように。
言葉は継時、絵は一瞬、ここに異分野に交流あった。
デザイン美術館できれば、互いに領域侵犯しながら活性化。
学芸、研究、開発とサポートする機関が連携。
時代相、文化相の復元と推移
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後半
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動かし方
国から人件費
企業などから寄付もらいながら大きくして行く。
小さなコントリビューター増やして安定させて行く。
ファンを作って取り込んで行くような美術館。
シンポジウム自体を続けていって欲しいという声は、みんなで作る美術館を求める姿の現れ。
もうデザイン美術館は始まっているのだ。
絵画や彫刻を展示するだけでは無い。使い、食べる。カフェの充実。
教育、教科書からはみ出る。デザインは理数系。
あまり難しいジャンルじゃないものも必要。
一方で難解な美術品も必要。
デザインは身近に置いて価値がわかり、本当にいいものは長く使えるはず。
近代主義の建築は目に頼りすぎ。
触り心地、触覚は大切。
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このままでは被災地は東京郊外の貧しい姿のコピーで出来上がる。
モダンな建築の枠組み、まちづくりの枠組みでは未来はない。
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経済性とかコストとか、使い勝手など見た目に加えて検討して欲しい。
東京にしかホンモノがない状況を変えよう
デザイナーの地位向上の拠点になって欲しい。
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地域性とデザインは密着している。
アフォーダンス。
近代デザインだけでは限界ある。地域で生まれた特有の美しさも収蔵していくべき。
経済性はもちろん大事。
無駄を許容できるだけのパワー必要。
価値先、金があと。
残るデザインはそこが違う
計算方式は必要。今ある経済構造+α
デザイン「あ」展は小学生無料。
でもミッドタウン全体の経済効果出した。
どんなデザインでも経済性したたかに考える。
買って使用するが最大の体験。
ミュージアムであり、ショップである。
決して下衆じゃない。
支持は買う行為につながる。
企業経営に近いかもしれない。
モチベーションのデザイン。
多くの人が「自分」にとっていいことがあるから来る。
べき論は必要だけど後ろに持ちつつ、エンターテインに徹する面も必要。
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そもそもデザイン美術館がないことが不思議
ここに行けば日本の建築史がわかる、デザイン史がわかるところない。
海外から高い評価得ているにもかかわらず、無いのは問題。
見せ方や場の作り方は美術品よりもっと自由。
日本の美術館の在り方を変えるような美術館になって欲しい。
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デザインは人を幸せにするミッション
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未来見ることできた。加速した。
アーティスト、デザイナーが自由に議論。
お金は何とかなるが信念。
とにかくやりましょう!
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ボーダレス
インタラクティブ
複雑インプリケイティッド
はっきりしたゴールなく、ヌルヌルと運動体として、もう動いている。
既存のデザイン美術館のキュレーター集めて国際シンポジウム。
西日本でのシンポジウム。
成長する美術館でありたい。
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