自己紹介

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ごあいさつ

TAK-MIXといいます。

仙台を拠点に会社員と個人事業主やっています。

何度目かのブログ開設に当たり、改めて自分を振り返りつつ、この記事を自己紹介代わりにしようかと思います。

余録ですので、お暇な方はどうぞ。

道のり

’76年生まれ。

幼少期は仙台市から少し離れたのどかな住宅地にて過ごす。

まんが道に憧れ、藤子不二雄を敬愛し、FとAに分裂した時は相当なショックを受ける。

まんが道(1) (藤子不二雄(A)デジタルセレクション)
戦後漫画史の貴重な記録でもある、連載期間43年に渡った藤子不二雄A先生の自伝的作品。満賀道雄と才野茂。北陸で出会い、“漫画”に魅入られた2つの才能が、漫画家という夢に向かって共に歩んでいく長編ロマン。青春の悩みや歓びを丹念に描き、読んだ者誰もが引き込まれる日本漫画の金字塔。待望の第1巻!!

まんが家に憧れたこともあるが、プロの生原稿とのあまりの違いに驚愕し、フェードアウト。

運動の苦手な太っちょキャラだったが、なぜか小学5年生当たりから運動能力が開花する。

中学2年で仙台市民に。とても標高の高い住宅地で、どこに行っても帰り道は登山という生活になる。

高校でラグビーにはまる。専門の指導者もおらず、コーチが本業の単身赴任のためにたまにしかやってこず、のびのびと自由にラグビーを楽しむ。時折やってくるOBに激しく対抗心を燃やし、公式戦以上の準備をして臨んだのは良い思い出。

一浪して北海道の私立大学に入学。今で言うところのFラン大学だが、見識を広め、ラグビーを深め、音楽に浸る。そして何より友人に恵まれる。

1998年3月にスウェーデン・ストックホルムに留学。今の自分を形成するに当たり、結構重要な出来事だったかも。

2000年春から北海道の某業界新聞社に入社。うちの大学始まって以来の採用=頼れる先輩がいない。辛くて、仕事もしたくなくて、ミスと遅刻の連続。振り返れば札幌本社の2年間は、もしかしてメンタルやられてたかも。

2002年から留萌支局に異動になり、心が晴れる。留萌の経済団体の人たちと仲良くなり、現地のコミュニティFM立ち上げをお手伝いする。

2004年に新聞社を辞め(事実上解雇)、帰郷。半年近く無職になり、フルタイムでフットサルやったり、変なバイトに行ったり、割と自由を謳歌する。

就職活動を本格化させ、小さな広告代理店に入社。そこから転職〜会社解散〜転職〜解雇〜派遣と安定しないが、ようやく2008年に地元の印刷会社に入社し、現在に至る。

その間に結婚し、2男1女を授かる。

2011年に東日本大震災を経験。

2015年のラグビーワールドカップイングランド大会での日本が南アを破る歴史的勝利を目撃し、ラグビーの育成に関わりたいと思うようになり、翌2016年から某公立高校のアシスタントコーチになる。

2018年に仙台の某経済団体青年部に入会し、めちゃくちゃ刺激を受ける。同じ年に離婚する。

2019年、ラグビーワールドカップ日本大会を必死で追いかけ、車での1人旅(1試合のみ飛行機使用)で予選4試合を完走。途中、東京ではスウェーデン時代の友人と、横浜では高校時代の友人、旧交も温める。

sdr

2020年、離婚後も同居していた家族と離れて暮らすことになる。

2021年、「Fika」の屋号で個人事業主として開業。給与所得と事業所得でどうにか人並みに暮らせるよう日々勉強しながら、今もこの道のりを歩んでいます。

お仕事の話

新聞記者時代から長年携わってきたインタビュー、ライティングのスキルを活かしつつ、デザイナー・エンジニアらとのネットワークを生かして、潜在ニーズの掘り起こしや言語化をお手伝いしています。

ちなみに、インタビューと執筆の「好き」の割合は8:2くらい。インタビューが楽しすぎる、と思っています。

Fikaとしては、代表の私のほか、デザイナーとエンジニアが参加しています。
ちなみにFikaは会社組織ではなく、あくまで全員が副業で個人事業主。同じ屋号を共通で使用して活動しています。チーム、という感じでご理解いただければと。

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